ehermesのブログ

インターネット、経済、政治に興味を持っています。

弱いつながり 読後感

 

弱いつながり 検索ワードを探す旅

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 夏の朝クーラーを付ける前に読みました。避暑地に行った用な感じ。情報に対するあれこれ。記号化。発見のためのネット、観光。ネットでは限られるから観光で実物を見ようというはなしかと思ったら、最後に旅先でのネットの使い方が出てくる。ネットでの情報の長所、短所をここまで切り込んだ文章にはお目にかかれない。ポストモダンの匂いがぷんぷん。ここで書き出せないほど。端々に漂う。ただ言葉に対する不信感がある。メタ議論。議論のための議論が無限に広がる。そこでものしか信用出来ないとなる。ここはポストモダン的ではない。自然科学の発芽を見ているよう。近代の萌芽。若いころのアウシュビッツでの経験が今の福島原発事故観光地化計画の駆動力となっている。なるほどとおもった。若い時は暗い人だったんだ。今は微塵もその雰囲気はない。ツイッターのおかげかな。発売時期といい彼の仕事の区切りといい、非常にタイミングよく出版された本だ。ポストモダンって人生の駆動力として影で働けるんだ。

弱いつながり、読前感。

 

弱いつながり 検索ワードを探す旅

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 実はこれまだ読んでないんです。東さんが怒涛のツイートがあり、なんか書けるかなと思った次第。弱いつながりというのは新しいと思います。過去2000年の歴史を塗り替える。人類は今までいろいろなことに熱中うしてきました。その結果争いも生じたわけです。相手の反論に対してその文脈で反論するということを繰り返してきたんだと思います。それを距離をとって接しようということです。関心は持つけど、熱中はしないとでも言っていいのでしょうか。欧米ではこういう考えはどう思われるのでしょう。コミュニタリアニズムリバタリアニズムに熱中しているわけです。どっちでもいいんじゃない、それぞれの立場があるよとはなりません。こうしてみると東さんは日本語をしゃべっているとも言えます。英訳され世界中の人に読まれることを希望します。そして観光客。旅人ではない。ポストモダンの思想に飽きてきているのでしょうか。しかし完全に離れるわけではない。観光客としてしばらくはポストモダンと違う環境に身を置くが、まだポストモダンに帰っていく。観光地で見る風景はどのようなものでしょう。日本初の新しい思想かもしれません。東さんの後半戦、油の乗り切った活躍が見れそうです。漱石が小説を書きだしたのも40代だったような気が。読後感はどのようなものでしょうか。違う印象があったらまた書いてみたいと思います。

中国の海洋進出

中国は従来からの主張を行っていますから、改めて海洋進出などということはないのかもしれません。中国の存在が大きくなり、世界的に注目をあびるようになったのです。中国もそのことは十分に意識しています。底流にあるのは中国の安全保障問題です。中国の軍隊は今までそれほど大きくなかったこともあって、政治的役割をそれほど果たしていませんでした。その結果政治的位置が固定されてない。不安定な状態にあるのです。日米はこの問題を何とかしないといけません。外交で解決できるというか、外交でしか解決できないのです。日米につきつけられたテーマです。日米安保体制の変更まで進むのかどうかはわかりません。また、東アジアは朝鮮台湾問題を抱えており、領土問題は深刻です。現状維持の政治的プロセスがあれば東アジアに貢献することでしょう。海洋進出を中国の膨張主義と捉えるのではなく、日米につきつけられた課題というふうに捉えるべきです。

太平洋戦争の意味

2つあると思います。アジアが初めて世界史に主要登場人物として参加したこと。もう一つは科学技術が発達して戦争が帝国主義の時代で考えるものから変質してしまったことです。日本は帝国主義のつもりでいましたからやったものがちだと思っていました。ドイツのようなイデオロギーの戦争ではなかった。事業として行っていたのでしょう。世界はその帝国主義を認めることはできなくなっていたかどうかはわかりませんが。ドイツと組んだことで日本の帝国主義も認めることができなくなり、必然的に帝国主義を否定することになるのです。歴史のトリガーとでも言うんでしょうか。そしてあまりの被害の大きさ。日本の被害は甚大でした。帝国主義として国家の行為として認めることのできないものでした。日本は戦争を始めたと思っているからあまり強調しませんが、被害は大きすぎました。極めつけは原爆です。帝国主義の時代とは明らかに時代が違いました。太平洋戦争は近代の扉を閉じたのでした。

日本の生き方

日本の生き方を考える際、欧米が参考になります。欧米文化は科学技術、民主主義に卓越しており、世界でも主流の文化です。彼らには一貫性があります。ギリシャ思想から、キリスト教、近代、ポストモダンとその流れは理路整然としています。現在もその活動は活発で、ポストモダンや環境思想を育んでいます。それぞれが前の時代を受け継ぎ、その時代にあった、またその時代を築きあげる思想を展開しています。彼らには連続性があるのです。それに対して日本はどうでしょうか。律令制から封建制近代というふうに移り変わってきましたが、時代の間には亀裂が生じています。ある時期になると海外から全く新しいものを取り入れそれを日本化するという作業を行います。日本の歴史は海外の文化を移入することにより、切断されています。そのような文化の成り立ちを考えたとき自律的に文化を発展させることは考えにくいです。現在の日本は戦後のアメリカ文化を移入した続きで、アメリカ文化をこく風化する時期なのか、ヨーロッパの現代思想であるポストモダンを移入する時期なのかは判別としません。ポストモダンはw優れた思想で、普遍性を持っており、日本の現状ともよくあっていますが、日本人がこれを受け入れるかどうかはわかりません。知識人の活躍が焦点になります。ともかくも欧米文化は縦軸を中心に動いている文化であり、日本文化は横軸に動く文化だということです。ポストモダンにしても各文化の特質は認めますので、どちらにせよ、国風化が進むことは間違いありません。欧米と日本は全く異なりますが、日本文化は欧米の文化に影響されながら進化していきます。そういう意味で排他的なのか、開放的なのかわからない文化とも言えます。そして、知識人の動きが焦点になります。その知識人は大衆文化に圧倒され大衆に影響あるいは反発して物事を考えています。思想とは煎じ詰めれば他者とのコミュニケートなのかもしれません。

現代の安全保障

今の安全保障について論じてみたいと思います。日本は戦後70年の間安全保障を持たずに過ごしました。全く白紙な状態です。保守の人は日本も安全保障を持つべきだと思っています。安全保障とは軍隊を使う政策という意味です。世界の安全保障はどうなっているのでしょうか。安倍さんは国民を守るためだとか積極的平和主義と言っています。このような綺麗事は現実の安全保障ではあまり現れてきません。言い訳には使われますが、実際は他の動機を含んでいます。国の影響力を維持するためであったり、敵対する勢力をけん制するためであったりします。発展途上国では軍事力が政治的発言力として厳然として機能しています。そういう国にコミットするためには軍事力が不可欠となるわけです。したがって、密接な影響力のある地域があったり、途上国にて敵対する勢力を持つかしないと安全保障の問題が生じることはありません。日本の現状ではそういう可能性は乏しいのではないでしょうか。現実的にはアメリカの補完勢力として加わる可能性が一番高いと思われます。アメリカがそういう行動に出ることは残念ながら可能性として高いと思われます。日本の未来像はアメリカを助けるために軍隊を使う国という感じが高いです。保守の人たちはそれで満足なのでしょうか。ここ50年を俯瞰してみるとそういうイメージですが、100年、200年を考えると違う未来像も見えてくる気がします。あまり大きな声で賛成を口にするの辞めたほうが無難かもしれませんね。保守のように理念を大事にする人しか推進できないのが、現在の日本の安全保障だと思います。

21世紀の民主主義

21世紀の民主主義は20世紀の民主主義とどこが違うのだろうか。近代の民主主義は知識人が中心だった。啓蒙思想で大衆に伝えるが、それは知識人の価値観、考え方だった。社会の構成に関する関心が高く、世の中を建設しているという志向があった。21世紀は大衆は自分たちの考えを主張するようになる。啓蒙思想はもはやそこにはない。自分たちの価値観に基づいて、過激な主張をする。しかし、それは政治の場では実現されない。主張は主張のままである。ネットでツイートしたり、ユーチューブに投稿したり、デモに参加したりはする。それらお祭りで終わってしまう。祝祭の一形式なのだ。政党はこれに合わせるようになる。右と左に分かれるのもその現れだ。2大政党制は日本ではこれに拍車をかける。日本は本来連立指向だと考える。政治家の政権に入りたいという意志が2大政党制を選んでいる。政治家は祝祭の面と政府のリーダーの両面を持っている。この部分が大事で政治家の伝統としてこの要素をしっかり受け継ぐ必要がある。社会変革から祝祭への移行が21世紀だ。