ehermesのブログ

インターネット、経済、政治に興味を持っています。

政府が日本民族を代表する

政治家の保守化が顕著です。ナショナリズムに覆われています。しかし、現実の我々の生活はどうでしょう。自動車など海外の輸出して生活をなしています。国内で消費される商品も日本企業が海外で生産し、輸入しています。エネルギーの問題は言うまでもありません。日本は貿易立国という意味で世界の工場ではありませんが、世界との結びつきを強くしています。当たり前のものと思っています。こういう社会で政治家の皆さんの関心はどう実現していくのでしょうか。政府の限定的機能ということが進むのではないかと思います。政府の関心が我々の生活に密着してこない可能性があります。政府は国民国家としての日本を代表することになるでしょう。政府の言う富国は生活実感とはかけ離れた価値体系をなすことでしょう。それはそれでいいことだと思います。政府が彼らの目指す富国に関心を持ち続ければいいのでしょう。国民は彼らの仕事をある種の文化的営みと見るでしょう。エンターテインメントとは言いすぎですが。国民を鼓舞するために奮闘するでしょう。国民の生活は別のところにありますが。

終戦記念日を迎えて

 終戦記念日です。各紙社説で力のこもった文章を載せています。あの戦争とは何だったのでしょうか。戦前と戦後の隔絶に思いを馳せます。全く別の世界です。戦前は帝国主義の時代で戦争が政策の一部となっていました。戦争を悪だとは思っていなかったのです。戦後の変わり様はどうでしょう。あの戦争はこの時代の変化の儀式だったのかもしれません。それにしても300万という犠牲は大きなものです。日本は膨大な犠牲の上にこの歴史的儀式をとり行いました。保守の人たちは戦後社会のアンチテーゼから議論を進めています。それは非常に人間的な行為です。しかしこの戦争はその人間的行為を超えた歴史的存在です。保守の人たちの行為はあまりにも人間的で、理解しやすい物ですが、あの戦争はそういう行為とは無縁の神がかった事実でした。21世紀になって人々はこの戦争をどう見るのでしょうか。愚行、飛躍。違いますこれは歴史的儀式なのです。儀式を終えた日本社会はそれに見合った関心を持たねばなりません。それぞれの時代にそれぞれの課題はあるものです。

これからの戦争

太平洋戦争の教訓は主要国がガチで戦うと悲惨なことになるということです。帝国主義の時代のような戦争ではもはやありません。それを決定づけたのが核兵器です。核兵器を持っている国は戦争はできません。これからの戦争はどうなるのでしょうか。地域紛争にそこに利害関係を有する国が関与することで始まります。ウクライナしかり、中東しかりです。ただそこに関与してない国は無視することになります。軍隊を使うような利害関係を持っていないからです。口先では盛んに関与することでしょう。軍隊を使った者勝ちの傾向が出てくるでしょう。ただ、その地域の利害が国際社会を敵に回しても意味があるかどうかは甚だ疑問ですが。日本の場合そのような利害関係を有する発展途上国があるとは想定できません。日本が独自に軍隊を使うような機会は少ないでしょう。やはりアメリカとの関係からです。アメリカとの同盟関係から軍隊を動かすことはあるような気がします。なかなか国民の支持は得られない構図です。政治上大きな選択手になってくると思います。保守は国を守るという意図とアメリカとの同盟との関係で悩むことでしょう。更に軍隊の機械化ということも現れてきます。ロボットが戦場に望むようになってきます。ますます世論との乖離は強くなります。大多数の国は武力行使とは無縁の生活になるでしょう。

中国の行方

最近の中国を見ていると、明治以降の日本とだぶるところがある。日本の保守との争いで近代の歴史に興味を持ってきているからかもしれない。中国が国力を増している。そういう認識自体が世界政治の中に影を帯びている。21世紀の政治とはそういうものだ。日本のような結末になってほしくない気持ちが強い。日本はいろいろな意味で敗戦から抜け出していない。中国を見ていると些細な事でバッシングにあって、異物感がてんこ盛りになっている。これも新興国の悲哀だと思う。それに輪をかけて政治での過剰反応。近代での軍事とは別の意味で不安定だ。日本としてどう接すればいいのかという問題もある。ただの同情や一緒にやろうでは済まない事態だと思う。日本にとってもうまくぎょせれば国力が増し、失敗すると手痛いしっぺ返しを食らう。どれも21世紀になってからの問題で、予測不可能だ。ここまで書いてきて中国は日本の保守の動きに違和感はないのかもしれない。反発は示すのだろうけど、内心では可愛いやつぐらいに思っているのかもしれない。外務省は何を基準に行動すればいいのだろうか。困っていることだろう。ウクライナの問題が一つの答えになると思う。僕は官僚とは相性が良い。政治とは弱いつながりを結んでいきたい。

保守の行方

保守は在野の反抗思想として産声を上げました。近代は自由、平等をモットーとするリベラルな思想が中心です。ナショナリズムなんかは軽んじられました。人間の新しいもの好きは保守に目を向けたのです。理念中心ですから実際の政策には疎いのです。思想的には人間らしい、鋭さ、凡庸さを持っていました。主流になってもそれほど変化したとは思えません。理念中心の批判精神旺盛です。日本では対中、韓国政策や集団的自衛権に影響を与えました。従来の政策に変化を与えるものではありませんが、ちょっとしたアクセントにはなりました。保守は2大政党制、民主主義のあり方に大きな影響を与えています。保守の影響により左が新しく生まれ変わろうとしています。右、左の2大政党が生まれるかもしれません。野党の動きがまだはっきりとはしていませんが、自民党の右に対抗して左の傾向が強くなると思われます。保守は民主主義に多大な影響を与えましたが、実際の社会設計にはそれほど関与していません。

集団的自衛権のついての雑感

 集団的自衛権は国民に人気がないようだ。戦争をするようになるとみんな思っている。安倍さんもその点は十分に認識して理論武装をしている。その分たてまえの議論になって国会論戦がつまらないものになる。国民はそのような部分を見透かしているようだ。現状の安全保障で十分なのかという議論が国民の視点にはかけおちている。過去20年の間に軍隊を動かすような案件が発生したが日本は自重してきた。このままでいいのかという思いが政治家の間にはある。独立国家として成り立っているのかという危惧もある。外交上一人前の国家になるためには避けて通れないという感は強い。国民は反対のようだ。そこには近代と違う状況が生まれている。近代に形成された体制をなかなか訂正するのは難しいということだ。21世紀も1940年台に作られた体制が残渣として残る。安全保障は日常の生活とは関わりがないから当然だ。保守の側から言えばこういう国民感情、21世紀的状況にはお構え無しに、富国強兵を押し付けてくる。強国になるためには当然のことだという。保守も国民の側も21世紀という時代を見つめていない。方向をはっきり認識した上で行動しているのではなく、闇雲に進んでいる感じだ。それが大きな物語の無くなった21世紀的現象であるのかもしれない。日本は恐る恐るだが確実に21世紀を歩んでいる。

経済成長

長期の経済成長は需要によるのか供給によるのか。現在の日本の経済の落ち込みは家計並びに企業投資の落ち込みにより、需要が減退したことが原因。長期的な経済成長を実現するには需要の長期に渡る喚起が必要。供給面はそれぞれ手当ができるものと考える。人の面でも必要になったら移民を受け入れることになると思う。現在の落ち込みと反対の現象が起こる必要がある。あくまでも国内市場の問題で海外との取引は拡大すると思うが、主流ではなくなる。所得が増え企業投資が増加する必要がある。それも長期にわたってトレンドとして皆に認識される必要がある。それは物事の両面であって、長期に認識されれば需要も増加してくる。卵が先か鶏が先かの問題だ。要は社会がそう云うモードに転化する必要がある。ここ10年ぐらいは日本経済にとって大事な時期だ。ビジネスチャンスも転がっているということだと思う。新しい事業を立ち上げるのにいい時期だと思う。