ehermesのブログ

インターネット、経済、政治に興味を持っています。

教育を受けたものと大衆

現在の社会では両者が存在します。考え方が違っており、社会の統一を妨げる一因となっています。自由が社会に根づいたため両者が気兼ねなく自分の考えを主張しているからです。教育を受けたものが近代の思想に近いのに対して大衆は自由の自分の直感で物事を言っています。近代社会は近代の思想で出来ているのも事実です。両者につながりがないのでしょうか。つながっている部分もあります。教育を受けたものは企業を通じて社会の供給を担当し、大衆はそれを消費することで社会に参加しています。企業が教育を受けたものと大衆を結びつける働きをしています。現代の企業は中世の宗教の役目を果たしています。NPOが社会貢献を目指すのは自然なことです。両者に優劣をつけることが本論の目的ではありません。両者の存在は現代の社会の切っても切れない者です。優越は見られません。近代には大衆を困ったものという視点がありましたが、現代はそうと言っておれなくなっています。ニーチェキリスト教を否定し大衆へのおもいやりを拒みましたが、理性を否定し意思を主張することで、大衆時代を予言しました。イスラム原理主義は欧米の社会の強固な教育を受けたものの文化に対向することで生まれました。日本のようなそこが確立していない社会では考えられないことでしょう。ポストモダン動物化する社会との見解は対象として人間を見ています。自分のことでなく人間とはという視点で論じています。教育を受けた物の価値を考える必要があるでしょう。日本の保守は両者の部分がありますが、現在のブームは大衆にとってのものでしょう。民主主義で大きな地位を占めることはそれをよく表しています。集団的自衛権で国民の支持を得てないのは大きな問題です。大衆運動としての保守は自分たちにとって大事な概念であるこの問題について大衆の理解を得る必要があります。自民党の奮起を期待します。繰り返しになりますが、両者の存在なくして現代は語れません。