ehermesのブログ

インターネット、経済、政治に興味を持っています。

雑感

思考というのは外の情報に対する応答である。外の情報は千差万別であり、思考を言葉で表現することはできない。コミュニティーとはその外の情報のことであり、人々の思考を決定する。人はその個人として、何人にも代えがたい存在であり、思考し続ける。思考する人が発する情報は他の人の外的情報となり、ネットワークが作られ社会が形成される。コミュニタリアニズムとはこれらのメカニズムを意味している。リバタリアニズムとはコミュニティーの一つであり、外的情報の塊のことであるコミュニタリアニズムのほうが広範な概念である。

 自由とは普通の人にとって選択のことである。一般の社会ではその選択もままならない。人々は苦悩することになる。ある人にとってはコミュニティーで許された範囲を超えて反応することがある。ごく少数の人々であるが。この人達もまた悩むことになる。反逆の気持ちとの戦いである。自由とは選択と反逆のことである。どちらも極めて重要な概念である。人生の実践にとって。

 政治においては政治コミュニティーの中で人々はやりがいを見つけていきいきと生きている。選択が意識され、それを巡っていろいろの活動が活発化する。ところが、少数の人だが、コミュニティー内の選択では満足できない人が出てくる。せっかく政治に興味をもったのだが弾かれてしまう。人生とは苦悩の連続である。ただこの境界は曖昧でもある。社会の進む道はこの境界の外が内側に引き込まれる過程でもある。突拍子もなく優れたものである必要はない。半歩前を進めばいい。人々はコミュニティー内からの変化を望んでいるものだ。その変化は大きなものである必要はない。やはり人間っていうのは不思議な生き物だ。