ehermesのブログ

インターネット、経済、政治に興味を持っています。

ポストモダンの時代の判断の仕方

難しいテーマですので、うまくかけないかもしれませんが。ポストモダンの時代になって物事が相対化し、真理なんてないよと、判断停止する人が増えています。学問的には其れで十分誠実なのだと思いますが、生きていくためにはディシージョンが必要です。どうすれば良いでしょうか。まず、思い浮かぶのは感情のままに判断することです。これは何か単純かことのようですが、そのうち幕は多義にわたっています。欲望に任せるといったて、多種多様の欲望があり人間は複雑です。自分は理性的に判断していると思い込んでいるが、実はただの感情でしかないこともままあります。いわゆる政治の世界での右と左はどちらとも感情の表現にしかすぎません。では、真理によって判断を下すことはできるのでしょうか。自然を相手にした問題ではかなり真理により物事を進めていくことができるようになりました。地球が丸いとか、ロケットとか、飛行機とかいうものは真理という判断基準を使わなくてはできませんん。現代社会は真理的判断で成り立っていると考えられます。だから、人々の意識と現代社会の成り立ちの間で違和感を感じているのではないでしょうか。反原発なんかはその典型だと思います。ようするに人間は複雑な感情で判断しなければならないが、社会というものを考えたとき理性というものがポストモダンの時代にも生きている、いや、必須だということです。全員が教育を受ける必要はありませんが、今の活動水準を保つためにはある程度の少数の教育を受けた人が必要です。人は本来感情的であり、教育を受けなければ理性的になれません。理性的な方が特異なのです。ポストモダンの平均的な考え方ですが。